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日語學(xué)習(xí)之這些日語口語表達究竟是對是錯?
在日語學(xué)習(xí)過程中,大家知道自己的口語表達到底是對是錯呢?下面就讓小編為大家講解一下吧。
つい先日まで聞かなかった言葉が生まれては消えていく。言葉はいきもの、時代と共に変化するもの……そうは思っていても、耳にすると気になる「言葉の使い方」もある。
兩天沒聽到的單詞很快就會消逝在時間的長河中。語言是有生命的,與時俱進的······即使這樣,有些詞在聽到的時候還是會覺得“用法不對”。
「教えて!goo」に「『すごい(楽しかった)』という言い方は修正すべき?」と疑問を投げかける質(zhì)問者さんがいた。本來は形容詞「楽しい」にかかるのは副詞「すごく」であるところに、形容詞の「すごい」を付ける人が多いという。テレビの街頭インタビューを見れば、「すごい楽しかった」と言っていても、テロップでは「すごく楽しかった」と表示されている……質(zhì)問者さんはそのズレが気にかかるそう。これからも修正すべきか、一般に広まった使い方なら修正は不要なのか、意見を求めている。
有人向“教教我!goo”進行投稿詢問“すごい(楽しかった)這種說法是否需要修正?”。原本修飾形容詞“楽しい”的應(yīng)該是副詞“すごく”,但很多人卻使用了形容詞的“すごい”。在電視的街頭采訪中,即使有人說了“すごい楽しかった”,下面的字幕也會改成“すごく楽しかった” ……受訪者對此感到疑問。于是征集對此征集意見,以后再遇到這種情況是都要進行修正呢,還是認可為正確用法。
テロップにして違和感があれば修正もやむなし
做字幕時有不合適的地方一定要修正
同様に『やっぱし楽しかった』『やっぱつまらなかった』と話している様子をそのままテロップにしたら違和感があります。“やはり”修正は必要です。
同樣地,“やっぱし楽しかった”“ やっぱつまらなかった”這種口語表達直接做成字幕時是十分違和的。還是(やはり)需要修正。
口語としてくだけた表現(xiàn)をことさら指摘する必要はないが、「文章」として見れば違和感を覚えるものは修正すべきという意見!冈挙费匀~」「書き言葉」という分類もあるだけに、これはひとつ納得できる主張に思える。
有人提議說,沒有必要使勁去糾正口語中特有的表達方式的錯誤,但在文章中出現(xiàn)的錯誤應(yīng)該糾正。通過“口語”“書面語”去分門別類地對待。
勝手に変えすぎるとニュアンスが失われる
糾正過度會導(dǎo)致原意盡失
「質(zhì)問文の場合『街頭インタビュー』ですね。これを勝手に変えるというのは、検閲とまでは申しませんが、細かいニュアンスというか、意味が変わってしまう可能性があります」(sawai197さん)
“提問里畢竟是‘街頭采訪’,又不是審閱文章,所以隨便改動的話,可能會導(dǎo)致細微的語感變化,誤解受訪者的原意。”(網(wǎng)友sawai197)
一方で、一般人の発言であれば過度の修正は控えるべきという意見も。仮に映畫の感想を求められた視聴者が発言した際に、「マジヤバイ!(本當(dāng)に素晴らしかった)」とテロップに入っていたら、発言者のニュアンスとずれる可能性がある。「マジヤバイ!」という言葉が持つ意味合いは、必ずしも「素晴らしい」だけには限定されない。感情をあらわすのに最適な言葉がそれであるなら、尊重すべきということだろう。
另一方面也有人指出,應(yīng)該減少對普通人發(fā)言的過度糾正。比如在采訪影迷對電影的感想時,字幕上在原文后加以解釋成“太厲害了!(實在是很精彩)”的話,也許并不是發(fā)言者原本的意思。“太厲害了!”這一詞所代表的,不是只有“精彩”一個意思。如果能夠表達本人意思的只有那個詞匯,那么就應(yīng)該尊重本人的發(fā)言。
テロップの修正は「方言がきつくて本當(dāng)に意味が判らない時、(中略)…意味が判らないぐらいに極端に何かを省略した話し方をした時など、最低限にとどめるべき」とsawai197さん。
字幕修正時,應(yīng)該是在“方言很難,判斷不了正確意思的時候,(中略)······在遇到意義不明或者省略過多的表達方式時,除去這些必要情況盡量不要做修改。”(網(wǎng)友sawai197)
言葉は変化するので、時代にあった規(guī)範を
語言會發(fā)生變化,所以要制定符合時代要求的規(guī)范
「100年前から見れば現(xiàn)代日本語なんて間違いだらけなわけで、自分が規(guī)範だと思っていること(誤用含む)を他人に押し付けて自己満足しているだけです」(reodaさん)
“跟100年前的日語相比,現(xiàn)代日語也全是錯誤用法,所以,這些修正不過是將自己認為正確的用法(包括誤用)強加到別人身上獲得滿足罷了。”(網(wǎng)友reoda)
國語審議會は、敬語の使い方など日本語の使用基準を議論し続けている。いつの時代を基準にするかで正しさも変わる。明らかな誤りを指摘するのであればまだしも、「自分の時代の正しさ」だけを基準にして目くじらを立て続けるのは得策であるとはいえないだろう。
國語審議會一直都在研究著敬語的使用方法等日語使用基準。選什么時代的語法作為基準,正解也會隨之發(fā)生變化。如果指出的是明顯錯誤還好,但僅僅以“自己的時代為標準”而吹毛求疵就不算上策了。
一方で、「最近は、テレビ局のアナウンサーやキャスターまで亂れてきている」と、正しい情報を広く伝える報道の現(xiàn)場から誤用が広まることを危懼する聲も。たしかに日本語の「型」を守るためにもある程度は必要に思うが、これも固すぎる意見かもしれない。みなさんは気になる日本語、あるだろうか?
另一方面,“最近連電視臺的播音員和主持人的表達方式都很混亂”,有些人擔(dān)心這些一直負責(zé)將正確情報廣泛傳播的媒體會引起誤用泛濫。堅守日語的“型”固然很重要,但也不能太過死板。大家有沒有在意的某些日語表達呢?
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